嶋本昭三 Syozo Shimamoto 1928年大阪市に生まれる。 1950年関西学院大学文学部卒業。 1954年戦後日本の現代美術を代表する「具体美術協会」の結成に参加、翌年の第一回具体美術展には<この上を歩いてください>と言う体感する作品を発表。また、この頃より日本におけるミュージック・コンクレートの先駆的な音響作品を試み、ポンピドーセンターに所蔵される。 1956年野外具体美術展に出品した<大砲絵画>をきっかけに、トレードマークとも言うべき瓶詰めした絵の具を画面上で炸裂させる手法をあみだし、1993年「ヴェネチア・ビエンナーレ」に招待される。 1969年第9回日本美術展では<消える丸>がコンクール賞を受賞。 1970年には万博博覧会お祭り広場のプロデュースを手がけるなど多岐に才能を発揮しだす。 具体解散後はAUを主宰してメールアートに打ち込む。 1982年「フランス百科事典」ラルーシュに嶋本昭三の名前が掲載。 1991年国際的美術誌「Flash Art」の表紙に嶋本昭三のヘッド・パフォーマンスが掲載される。 また、作家活動の傍ら日本障害者芸術文化協会の会長も勤め、1992年大阪海遊館で日本ではじめての大がかりな障害者の芸術展「Very Special Arts」を企画。故ケネディ大統領の妹、ジーン・ケネディ・スミス氏(「Very Special Arts」の提唱者)と毎日新聞紙上で対談。 1996年広島に投下した原爆製造の原子物理学者バーン・ポーターより「ノーベル平和賞候補」に推薦される。 1997年「日本の百科事典・現代用語の基礎知識」のCD-ROMに嶋本昭三の記事が掲載。 1998年アメリカMOCAの戦後の世界展に世界4大アーティストのひとりに選ばれ、アメリカ芸術大学の教科書に明治以降ただひとり日本人で名が掲載。 1999年紺綬襃章受賞。デビット・ボーイ、オノ・ヨーコと共に再びヴェネチア・ビエンナーレに招待、出品など国内外で勢力的に活動を続け高い評価を得ている。現在、宝塚造形芸術大学美術学科教授・京都教育大学名誉教授・日本障害者芸術文化協会会長。現代美術家。 |
嶋本高之 [ trumpet ] Takashi Shimamoto 19歳で、『北野タダオとアロー・ジャズオーケストラ』に入団、ディジー・ガレスビーの助言で1988年にNYに渡る。 以降、数々の大物ミュージシャンと共演。自己グループや、デビッド・マレイ、マイケル・カービンのグループなどのメンバーとして、レコーディング、欧米、日本、アジアの各国で演奏活動を展開。ロング・アイランド大学で教鞭もとる。 97年には、キングレコードより、デビューアルバム『GIANTSTEPS』を発表。21世紀は日本に拠点を移し、ジャンルを越え、クラッシック、前衛音楽などのミュージシャンとも共演。ユニークなアイディアと、独特のスタイルで、幅広い活動が期待される。 |