2026年3月閉館
AI・HALL(伊丹市立演劇ホール)
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「幕のない空間」 小堀純


名古屋で情報誌プレイガイドジャーナル名古屋の編集者(演劇担当)になった私は、ほどなくして北村想に出逢う。1976年の春頃だったか。私より一つ上の想さんは“キラキラ”していて、山登りばかりしていた野良の私には心底、眩しかった。山の話はできないので、映画や演劇、漫画の話をした。
演劇担当になったばかりの私は何か、気の利いたことを云わねばと、学生時代に観たピーター・ブルック演出の『真夏の夜の夢』(ロイヤル・シェイクスピア劇団、1973年5月)の話をした。ブランコに乗った役者たちの登場に度肝を抜かれ、シェイクスピア作品にあった重々しさが全くなく、現代の若者たちが妖精となり、まるでそこにいるような、かろやかさがあった。
「ああ、あの芝居ね。おれも劇場に行ってたんだよ」
「え、想さんも観てたんですか⁉」
「おれは大道具のバイトで行ってたんだ。で、終演後、バラシをしてたら、セットで使ったものは捨てて帰るっていうから、持って帰った。七ツ寺共同スタジオで作る自分たちの芝居に使おうと思った」
私はこの話を聞いて、想さんのことが一遍に好きになった。
北村想は「何もない空間」から<何か>を持ち出し「何でもあり」の自由な芝居を作ったのだ。
想さんとその集団(T・P・O師★団~彗星‘86~プロジェクト・ナビ)は、関西ではオレンジルーム~扇町ミュージアムスクエア~アイホールが主たる公演会場だった。とりわけアイホールは彼らにとって、理想的な自由空間だった。
『寿歌』(1988)ではラスト、まさに天から雪が降ってくる。ここは確かにビルの上だと感じさせた『屋上のひと』(90)での水平空間。眼前から人が消え、宇宙の涯てに行った『想稿・銀河鉄道の夜リヴィジョン』(90)……。
アイホールは<高さ>があり<幅>があり、<奥行き>があった。作品によって、どのようにも<変化>する舞台と客席を組めるのが、アイホールだった。
誤解を恐れずに云えばアイホールは<劇場>ではない。この幕のない空間は、あらゆる自由な表現の可能性(何でもあり!)を受け入れる拠点であり、無限のキャンパスだった―。
アイホールの閉館は単に伊丹市や関西だけの問題ではない。60年代から日本独自の芸術運動として始まった、アングラ~小劇場演劇の前衛性、自分たちで<空間>を創る、圧倒的な自由な表現の危機である。

僕たちがそれをするのは、うったへるためでも、知らしめるためでも、あらぶるためでも、たたかうためでもない。僕たちがそれをするのは、それがひとつの僕たちの生活だからだ。僕たちはたしかにくるしい。それは紙幣がないからなのかもしれないし、将来とよばれているものがないからなのかもしれない。でも、ひょっとしたら、僕たちのくるしさは、世界にぼくたちの占める場所がないからなのかも知れない。それならば、僕たちは、時間を占めよう。ここにささやかに、僕たちの生活とよべる時間を占めよう。
プロジェクト・ナビ『DUCK SOAP』(作・演出 北村想/佳梯かこ※当時は佳梯カコが演じた量子の台詞より。1987年6月~7月)

小堀 純(こぼり・じゅん)
無宿編集者。著書に『せんべろ探偵が行く』(中島らもとの共著・集英社文庫)。編集した書籍に、北村想『不・思・議・想・時・記』(プレイガイドジャーナル名古屋)、『憂歌団DELUXE』(白夜書房)、『現代演劇のアートワーク’60~’80』(西武美術館カタログ)、『中島らもエッセイ・コレクション』『中島らも短篇小説コレクション 美しい手』(以上、ちくま文庫)、松本雄吉『維新派・松本雄吉 1946~1970~2016』(リトルモア)、『大竹野正典劇集成1~3』『深津篤史コレクションⅠ~Ⅲ』、秋浜悟史『ある地方高校生の日記 一九五〇~一九五三』(以上、松本工房)など。
※プロフィール写真:谷古宇正彦


