2026年3月閉館
AI・HALL(伊丹市立演劇ホール)
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「リージョナルシアターで東京へ」 はたもとようこ
AI・HALLリージョナルシアター 桃園会『うちやまつり』作・演出/深津篤史


桃園会がリージョナルシアターに参加したのは1999年。1998年に主宰で作・演出家の深津篤史が『うちやまつり』で第42回岸田戯曲賞を受賞した。その2年前に鈴江俊郎氏と松田正隆氏がダブル受賞していたので、東京一極集中を問題視し、新しい風を求める時代の空気のようなものがあったと思う。全く無名で「誰それ?」の深津が初ノミネートでダークホース的な受賞したことが地方の演劇を見てみたいという東京の演劇ファンの興味に拍車をかけたかもしれない。
そんな中、財団法人地域創造と東京国際舞台芸術フェスティバル’99実行委員会の共催で、地域で活動している7つの劇団が連続上演するリージョナルシアター・シリーズに選ばれ、初の東京公演をすることになった。弘前劇場(青森)、劇団カタコンベ(新潟)、劇団ジャブジャブサーキット(岐阜)、MONO(京都)、199Q太陽族(大阪)、桃園会(伊丹)、飛ぶ劇場(北九州)の7劇団。そのうちの弘前劇場、劇団ジャブジャブサーキット、MONO、199Q太陽族、桃園会の5劇団が「AI・HALLリージョナルシアター」として公演した。関西を代表する劇団として選ばれ、受賞のご褒美のような、晴れがましくも大きなプレッシャーを感じる公演だった。

桃園会として初の近畿圏外での公演は利賀・新緑(はるの)フェスティバル’99で、『イルカにのってみる?』というかなり倒錯的できわどい設定の作品をぶつけてドン引き(としか言いようがない)された後だったので、『うちやまつり』がどう評価されるのか、正直、皆不安だったと思う。結果的には難解ながらも独特の雰囲気のある劇団として受け入れられたように記憶している。フェスティバルで他の劇団と見比べるという要素があり、強く個性を打ち出していることが好意的に受け取られたのかもしれない。
アイホールでの公演は、『うちやまつり』の初演がここだったこともあり、我が家のようにのびのびとやらせてもらった。1995年に阪神淡路大震災を描いた『カラカラ[改訂版]』を上演してから、桃園会はほぼ毎年のようにアイホールで公演し、劇団員は皆アイホールに育ててもらったと思う。深津は常に「小屋にあて書き」の人だった。この高さ広さ距離感の空間でしか作れない作品をいくつも生み出した。私たちは幸せだった。アイホールと共に演劇を作ることが出来たのだから。感謝しかない。

はたもとようこ
1992年桃園会を主宰深津篤史と共に旗揚げ、以降ほとんどの劇団公演に出演。2014年、深津の後を受け代表となる。俳優としての活動のほか、衣装スタッフとしても活動中。関西現代演劇俳優賞女優賞など受賞歴あり。1997年よりウイングフィールドの劇場スタッフをつとめる。


