「終わらないでほしい時間を書いた」 角ひろみ

「終わらないでほしい時間を書いた」 角ひろみ

「AI・HALL ハイスクールプロデュース」は夢のように贅沢な劇場企画だった。深津篤史、土田英生、岩崎正裕、横山拓也など、当時の関西の注目劇作家・演出家が毎年、戯曲を書き下ろして演出した。オーディション出演の伊丹の高校生と、ひと月ほど連日AI・HALLでクリエイションし、舞台美術を建て込み、全てプロスタッフの布陣で上演された。

 私は2003年に『暮唄と日曜アンファイナル』という、今でいうエモい作品をやりたい放題やらせてもらった。22年も前か! まだ20代で、変な柄古着のヘビースモーカーで、オルタナ魂とパンク魂とアホ魂があった。高校生の話ではなく、数年未来の、戯曲が書けてない劇団の夏合宿のうだついてごちゃついた一夜を、彼らが先に擬似体験していくような劇だった。

 田舎の海辺の家を建て、わりとずっと大音響で、夏のダル着で踊りまくって乱れて始まって、舞台上手に本物のセダン車を駐車して、車中で夜中の男女の抜け駆けみたいなことして、嘘のタバコ吸って、親友がキレて、全員ケンカして、最終的に舞台上でホットプレートでマジで焼きそば作って食べて、嘘のビール飲んで、また踊って息切れたり、水着になったりして、青春な夜が明けていった。

 高校生たちは出会った最初から最後まで素晴らしくリアルに体感して演じてくれた。たくさん話してマジで恋して泣いたり笑ったりもした。奇跡のような演劇ができる時のあの実感がずっとあったし、高校生にも劇場の人にも作品が愛されたし、観客の評判もかなりよかった。

 今もう彼らは40歳前で、私は50歳過ぎだ。私みたいな劇作家役だったチィは今も役者で演劇続けてる。唯一の男子だったコゴローは今も「男肉du soleil」のベロアのJ君として、茶色いベロアのジャンプスーツに身を包み大音響で踊り続けてる。アンファイナルってタイトルつけといてよかった。

 私は芽が出たての頃から、AI・HALLの一連の企画で演劇の仕事をいただいて育ててもらった。高校生だった彼らも、若手演劇人だったあの人たちも、夢のような劇場と観客と演劇的時間の中で育っていった。

 AI・HALLが終わるなんて、夢が終わっていくようで嫌だ。かなしい。

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角ひろみ(すみ・ひろみ)

劇作家・演出家。兵庫県伊丹市生まれ尼崎市育ち。95年に「芝居屋坂道ストア」結成。
2006年より岡山市在住。劇作家・演出家として多方面で活動。宝塚北高校演劇科劇作講師。『あくびと風の威力』第4回劇作家協会新人戯曲賞佳作、『螢の光』第4回近松門左衛門賞、『狭い家の鴨と蛇』第20回劇作家協会新人戯曲賞など受賞多数